「世界遺産・姫路城へ!無料の駐車場はある?混雑は?(前編)」では、 姫路城 周辺の 駐車場 事情についてご紹介いたしました。後編では、姫路城の歴史についてお伝えいたします。
廃城令や太平洋戦争など幾多の危機に見舞われた姫路城ですが、どのようにして現在の姿を保つことができたのでしょうか。
世界遺産・姫路城へ!無料の駐車場はある?混雑は?(後編)
姫路城が軍事施設
姫路城は、1333年に播磨国の守護・赤松則村が姫山に砦を築き、1346年に息子の赤松貞範が小さな山城を建てたことから始まり、それ以降何度も改築をしました。そして1600年に城主となった池田輝政により、1601年から8年かけて築いたものが、現在の姫路城です。
長い歴史の中で、大きな被害にあうことなく、その姿を保っていましたが、明治時代に姫路城は各地の城と同様、存亡の危機に立たされました。
廃城令により存城と廃城にわけられ、廃城が決まった城は取り壊されました。幸い、存城が決まった姫路城でしたが、陸軍省の管轄となり、建物の一部は取り壊され陸軍の施設となりました。
城の建物が朽ちていく中、陸軍の中村重遠大佐が保存・修理をするよう働きかけたことをきっかけに、保存を願う市民・有志の方たちの熱意が国を動かし、「明治の大修理」が行われました。
太平洋戦争での奇跡
昭和に入り、太平洋戦争中の1945年に、軍需産業の拠点だった姫路市は、大規模な空襲を受けました。姫路城も被害にあい、大天守最上階にも焼夷弾が落とされたそうです。しかし不発だったため、奇跡的に建物は焼失することなく残りました。
もし、不発弾でなかったら、今の姫路城の姿はなく、これまで保存に尽力された方たちの努力が無駄になるところでした。戦争で一時中断していた「昭和の大修理」も再開され、奇跡の大天守も修理されました。
姫路城の楽しみ方
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まとめ
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姫路城が軍事施設
太平洋戦争での奇跡
姫路城の楽しみ方