2015年に インドネシア 高速鉄道計画が発表されました。日本と中国が入札で競い、結果中国の案が採用されました。
なぜ日本が誇る 新幹線 が採用されなかったのでしょう?
経緯とその後を追いながら、日本が得たものと失ったものを探っていきます。
インドネシアに新幹線を売る!日本が得たものと失ったもの。
入札から採用まで
インドネシアは2015年に首都ジャカルタから第三の都市バンドンまでの150キロメートルを結ぶ高速鉄道計画を発表し、日本と中国が入札を競いました。
日本は高速鉄道計画発表前からインドネシアに新幹線を導入してもらえるよう働きかけていましたので、計画発表後も日本優位と思われていました。しかしながら採用されたのは中国案でした。
採用の決定的な理由は、中国側の「債務保証不要」と「事業費全額融資」というインドネシア側にはリスクのない好条件の提示にありました。日本は、この好条件に負けたのです。
インドネシア高速鉄道計画のその後
当初は2015年9月に着工し、2019年には開業予定でした。しかし、中国側の提出書類の不備や、債務保証不要から一転、失敗の際の補償負担を中国側から求めてきていることや、用地買収未完了、資金難など次々と問題が発生し2019年の開業が危ぶまれています。
情報公開不足ともいわれ、正確な情報が公衆へ伝わっていない状態が、不安を煽り不信感へと問題を大きくしていきました。
他国でもトラブル続出
インドネシア以外でも中国は、高速鉄道計画においてさまざまな問題が起きています。
アメリカのロサンゼルス-ラスベガス間の計画が中止になりました。理由の1つとして中国側の計画の遅れをあげ、継続困難とアメリカ側から契約破棄を告げられたのです。
中国側は、「無責任な行動」と猛反発しましたが、覆ることはありませんでした。
ベネズエラでは工事が中断され放棄された状態、メキシコでは契約破棄、タイでは、一時延期と相手国側の都合で起こった問題もありますが、とにかくトラブル続きです。
こういうことが続くと残念ながらトラブルの多い国と認識され、なかなかいい信頼関係を築くことができません。
日本の新幹線が世界へ
日本の新幹線は、着実に海外で導入されてきています。
最初に車両と新幹線システムを導入したのは台湾でした。欧州のシステムと混在しているため、日本の新幹線とは少し異なりますが、車両が日本の700系に似ているため、その見た目から「台湾新幹線」と呼ばれ親しまれています。
そしてタイの首都バンコクから北部のチェンマイ間を結ぶ約700キロメートルの高速鉄道計画では、日本の新幹線方式の導入が有力で、順調にいけば2018年に着工できる見通しです。
インドの最大都市ムンバイからアーメダバード間を結ぶ約500キロメートルの路線に日本の新幹線システムが採用され、2023年の開業を目指します。今後、複数の路線建設が予定されており、日本も最初の1路線の結果次第で、次に大きくつながる可能性をまだ残しているのです。
日本が得たもの、失ったもの
中国は入札には勝ち、多くのプロジェクトを得ましたが、さまざまなトラブルで少なからず信頼を失いました。
信頼を回復するには、今後かなりの努力が必要でしょう。
日本は、インドネシア高速鉄道計画で入札時期の7年も前から新幹線導入に向けいいビジネス関係を築いてきたにもかかわらず、残念ながら報われませんでした。
しかし、インドネシア政府は首都ジャカルタから第二の都市スラバヤ間を結ぶ約750キロメートルの新鉄道路線「ジャワ横断鉄道」を、日本に建設要請をすると表明しました。7年という膨大な時間を失ったように思われましたが、無駄にならずチャンスを得ることができました。
ただし日本もまた今後の行動次第で、信頼を失う可能性もあります。
世界中に日本の新幹線が増えれば、日本人は誇りに思い、その国に行って乗ってみたくなるでしょう。自国で導入された新幹線に乗ったら、今度は元祖・日本の新幹線にも乗ってみたくなる外国人が増えるでしょう。
元祖である以上、おもてなしも一番でなければなりません。そして、日本を見習って自国に来られた人々におもてなしをしてくれる人が増えれば、日本は最終的に得るもののほうがはるかに多いということになります。
まとめ
インドネシアに新幹線を売る!日本が得たものと失ったもの。
入札から採用まで
インドネシア高速鉄道計画のその後
他国でもトラブル続出
日本の新幹線が世界へ
日本が得たもの、失ったもの