戦国武将と聞いてさまざまな人物が浮かぶと思いますが、その中に織田信長の名前をあげる人は多いのではないでしょうか。 織田 信長 は戦国時代、武将としてはもちろん政治的な面でも力を発揮した人物です。そして残された 名言 は現代に生きる私たちに生きる力を与えてくれます。
戦国武将、織田信長についてひもといていきましょう。
信長の名言は生きる力を与えてくれる(前編)
尾張の大うつけ者と呼ばれた男
戦国・安土桃山時代の武将として名を馳せた織田信長は、実は幼少のころから奇行が目立ち、「尾張の大うつけ者」と呼ばれていました。しかし、本当のうつけ者が数千人もの軍を率いるリーダーになれるものでしょうか?
信長のうつけについてはさまざまな説がありましたが、最近では暗殺されないための演技によるものだったという説が有力です。
もともと織田家は室町幕府の名家斯波家の被官でありました。その後尾張の守護代を経て室町幕府が衰退すると斯波氏に代わって勢力を持つようになりました。
信長の父、信秀は「尾張の虎」と呼ばれるほどの人物です。しかし尾張統一の夢はかなわず、その後を継いだのが信長なのです。本当にうつけ者であれば、後世に残るほどの功績を残せるはずはありません。
型にはめない考え方で発想が豊か
信長については「寛大な人」という説と「冷酷な面がある」という説があります。エピソードを総合すると、どうやら弱い者に対しては情けをかけたり優しい心遣いをし、部下には自身の信念を貫くために冷酷な決断をすることがあったようです。
また、身分にとらわれることなく優秀な人材を自分の部下にするという、当時では珍しい人事をしていました。足軽や忍者出身の物、国籍も問わず優秀な人材を集めていたのです。
庶民ともわけ隔てなく付き合いをしており、祭りが好きで祭りの際には庶民と一緒に踊っていました。安土城の内部を見学できるようにしたり、夜は今でいうライトアップをして人々を楽しませる演出もしていました。
相撲もかなり好きだったようで、優勝した力士を家臣にしたこともあります。このように、日ごろから誰もが思いつかないことを積極的にするなど、発想が豊かで柔軟性があったのです。この信長の考え方が戦いの戦略や政治の面でも大いに活かされるのです。
まとめ
信長の名言は生きる力を与えてくれる(前編)
尾張の大うつけ者と呼ばれた男
型にはめない考え方で発想が豊か