兵庫県の竹田城跡は、今人気の観光スポットです。 竹田城跡 の人気に拍車をかけたといえる「ある風景」があります。その風景をみるために多くの人が集まってきます。
人が増えると当然、 駐車場 は混雑します。いつ混雑するのか、人気のある風景とはどんな風景なのかを探っていきます。
天空の城・竹田城跡!駐車場は大混雑?(前編)
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知らなかった竹田城跡について
日本には現存する有名なお城が全国にあります。そんな中、竹田城跡は存在すら今まで知らなかった人もいるでしょう。まずは、竹田城跡の基本的な情報をご紹介していきます。
竹田城跡は、兵庫県朝来市にあった竹田城の山城遺跡です。険しい山に築かれた城・竹田城は約400年前には廃城となり、現在は城の建物はなく石垣や壁、井戸などが残っています。
シーズンは4つに分けられ、3月~5月は午前8時~午後6時、6月~8月は午前6時~午後6時、9月~11月は午前4時~午後5時、12月~1月3日は午前10時~午後2時までとなります。
天候によっては、入城規制されることもありますので、お出かけ前に確認が必要です。また1月4日~2月末までは閉山していますので、入城できません。
観覧料金は大人(高校生以上)500円、中学生以下は無料、障害者手帳をお持ちの方とその介護者は無料、大人20名以上の団体は450円です。四季折々の竹田城跡を楽しみたい方は、1,000円で年間パスポートも販売しています。
竹田城の歴史
竹田城の誕生については資料が少なく、詳しいことがあまり残っていません。当時但馬国といわれており、領主・山名氏によって1431年から城の建築が始まり、1441年~1443年に完成したとされています。
但馬国の隣接する播磨国の領主・赤松氏と戦いを繰り返していたことから、竹田城は但馬国の戦いの拠点になっていたようです。
山名氏の家臣であった太田垣氏が7代に渡り城主を務めていましたが、羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)率いる織田軍に攻め入られ竹田城は落城します。
その後山名氏は織田の配下になることで追放から復帰しますが、再び毛利氏と手を組み反撃し返り討ちにあい、再び追放されます。
1585年には播磨龍野城の城主であった赤松広秀が竹田城の城主になり、現在に残る石垣の整備をしたと考えられます。しかし関ヶ原の戦いで敗戦者となった後、鳥取城を攻めた際、城下町に放火したとされる罪で切腹に追いやられ、城も廃城と悲しい結末をたどりました。
このような歴史を知ると、とても特別な場所だということを実感します。
まとめ
天空の城・竹田城跡!駐車場は大混雑?(前編)
知らなかった竹田城跡について
竹田城の歴史